今やテレビで見ない日は無いタレント、坂上忍さん。
ワイドショーからゴールデンタイム、深夜番組まで、ちゃんと休めているのか心配になるほどですね。
有吉ゼミで、「坂上忍家を買う」の企画見てました!
ワンちゃん大好きで、イメージがガラッと変わりました‼
今や「お茶の間の顔、坂上忍」ですが、ここまでくるのには大変な苦労があったんです。
自身の愛するワンちゃん達のために、家を購入する企画を起こした番組の司会者有吉弘之さんは最近ご結婚されましたね。
自身と同じ毒舌キャラとして、坂上忍さんも二人のご結婚に祝福の気持ちをワイドショー内で発言していました。
そんな有吉弘行さん夏目三久さんのなれそめは、こちらをご覧になってみてください。
今回は坂上忍さんのこれまでの経歴から、「坂上どうぶつ王国」での企画として進行中の動物保護施設建設のいきさつについて調査しました。
坂上忍のプロフィール
1967年6月1日生まれ 東京都杉並区西萩久保出身
杉並区立桃井第三小学校出身、杉並区立荻窪中学校出身
東海大学付属高輪台高等学校退学
「天才子役」として幼少期から活躍する
日本の俳優、タレント、演出家、映画監督、司会者、コメンテーター、エッセイスト、子役育成講師としても活動している
かつてはロック歌手としても活動していた
子役だったことは知ってるけど詳しいことは知らない…。
これまでどんなことがあったのかしら?
ロック歌手?!とても意外です‼
職種が幅広く、とても活躍していることがこれだけでも伝わりますよね。
それぞれの職種を経験するまでに、坂上忍さんは壮絶な人生を送ってきています。
子役デビューのきっかけは引きこもりから
劇団若草に所属する少し前に、坂上忍さんは父方の祖母を亡くし、引きこもってしまったそうです。
その頃4歳年上のお兄さんは劇団若草に所属し芸能活動を行っていて、弟を心配したお兄さんが「友人を作るきっかけ」として劇団への所属を勧めたそうです。
現在このお兄さん坂上也寸志さんは、映画プロデューサーとして活躍しています。
お兄さんの勧めを受けて2歳8か月で劇団若草に所属し、テレビドラマで子役デビューを果たし、「天才子役」として活躍しました。
ですが坂上忍さんが小学生の頃、お父さんが事業に失敗し、重ねてギャンブル癖があったことから多額の借金を抱えることになりました。
小学生から中学生まで、自宅に暴力団が頻繁に取り立てに来るという、悲惨な環境で育ったそうです。
暴力団が取り立てに来るなんて怖かったでしょうね。
このころ坂上さんは子役としての仕事にも苦痛を感じ始めていて、家庭環境も合わさって「自殺を100回以上は考えた」と語っています。
子役としての仕事は中学生で辞めるつもりだったそうですが、両親が15歳の時に離婚。
離婚と同時に蒸発してしまった父の連帯保証人が母であったため、借金返済のためにその後も役者を続けることになりました。
借金の額は1億円以上で、母も3つ仕事を掛け持ちし、坂上さんを含めた家族全員が昼夜問わず働いたそうです。
役者として活躍するも「これでいいのか」と迷った期間
坂上忍さんは14歳の時に個人事務所を立ち上げて、ドラマや舞台で活躍していました。
ですが「泣く演技は得意だけど笑う演技が不得意」という理由から、監督などに指摘されることが増え、役者であることに違和感や苦痛を感じ始めました。
家庭がそんな状況なのに笑えるはずないですよ。
そうですよね。
でもこの頃の芸能界は実力至上主義でした。
「親の死に目にも会えない」なんてことは当たり前でしたから、家庭環境が荒んでいようが、借金を抱えていようが、何かに悩んでいようが、関係なかったのです。
同時期に歌手として活躍していたのは、尾崎豊さんでした。
彼もまた人に悩みを打ち明けることが出来ず、自死という道を選んでしまいました。
なんだかとても嫌な世界ですね。
子供が入るにはあまりに過酷すぎます。
当時は芸能人にプライベートはありませんでした。
いつどんな時でも俳優坂上忍でいなければならなかったのです。
悲惨な家庭環境と、気乗りしない仕事のせいで坂上忍さんは精神的にとても不安定になっていたそうです。
多忙な中、東海大学付属高輪台高等学校に入学しますが、入学式当日に喧嘩騒動を起こして退学となってしましました。
暴力はよくないことだけれど、なんだか同情してしまします。
そうですね。坂上さん自身は「俳優坂上忍」として活動したかったのですが、いつまでも「天才子役坂上忍」のイメージが付きまとい悩んだそうです。
子役としてのイメージがつきまとい俳優として活躍することが難しいと感じた坂上忍さんは、役者から逃げる口実としてロック歌手としてデビューしました。
ですが同じ時期に活躍していたロックミュージシャンは、現在でも「天才」と称えられる人たちです。
- 尾崎豊さん
- 吉川晃司さん
- 本田恭章さん
未だにファンからの絶大な人気を誇る人たちばかりですね。
この名だたるメンバーを抜いて活躍することはとても難しいことですよね。
重ねて世間は「天才子役がロック歌手へ転身」というネタに飛び掛かり、取材の多さから坂上忍さんはここでも苦痛を感じてしまうことになりました。
ヤクザ役で子役イメージを覆すも大事件を起こしてしまう
そんな時に舞い込んだのが映画「クレイジーボーイズ」のヤクザ役でした。
「笑う演技」が苦手な坂上忍さんにとって、これはうってつけの役柄でした。
これが転機となり、「天才子役坂上忍」のイメージを「俳優坂上忍」にすることに成功しました。
やっと転機が訪れたんですね。
そうなんですが、この後坂上さんはとても大きな事件を起こしてしまします。
1995年1月14日の深夜、坂上忍さんは俳優仲間の自宅でのパーティーから自家用車で帰宅していました。
パーティですからもちろん飲酒しています。一目で泥酔状態とわかるほど千鳥足だったにもかかわらず、坂上忍さんは助手席に女優山本未来さんを乗せ、発進しました。
結果的に、コンクリートの電柱を根元から折るという大事故を起こしてしまいます。
せっかく活躍できるようになったのに…。
当時は飲酒運転にまだ規制がゆるかったとしても、千鳥足で運転できないことは考えればわかるのに…。
さらに、坂上さんはかけつけた救急車を見た途端、逃走してしまいました。
駐車していた車との接触事故を起こしながらも逃走を続け、数台のパトカーと約20分間カーチェイスを繰り広げました。
事故現場から約1.5㎞離れた場所でようやく停車し、酒気帯び運転で現行犯逮捕されました。
女優さんを乗せていたために恋愛スキャンダルとしても報じられ、坂上忍さんは芸能界からしばらく姿を消すことになりました。
こんなことがあったなら当たり前です。
せっかくの活躍するきっかけを、棒に振ってしまったのはどうしてなのか…。
最近では俳優の伊藤健太郎さんがバイクとの接触事故を起こしながらも逃走し、逮捕され、雑誌取材にて当時の心境を語りましたね。
地位や名誉を手に入れれば入れるほど、正常な判断が出来なくなるのは人間の強欲からなんでしょうか。
謹慎期間を経て活動再開へ
結果として坂上忍さんは半年間謹慎することを決めました。
こんな大事故で半年?!今じゃ考えられない…。
坂上さんは14歳で独立していますから、謹慎期間を決めるのも坂上さん自身でした。でも世間が受け入れるには半年は短すぎたようですね。
謹慎期間中に、父である坂上精一郎さんの勧めで本を出版します。
謹慎期間明けには初めて映画監督を務め、1997年から2004年にかけて3作を発表しています。
表舞台には出る機会が得られず、監督という制作側に回り、ここでその後の子役育成のきっかけを得たと坂上さんは語っています。
2005年に演劇集団「コントレンジャー・オニオンスライス」の演出・構成を務め、2009年には芸能スクール、アーティストの発掘や育成を行う「アヴァンセキッズアクタープロダクション」を開校しました。
それと並行してネオモデルタレントスクールの特別講師としての仕事も行うようになりました。
講師として仕事を行う坂上忍さんの姿が見られるようになったのは、この頃です。
1995年に事故を起こし、ドラマのわき役などの活動もしながら堂々と表舞台に登場しだしたのは2013年頃でした。
起こした事件に相当な期間ですね。
今はこのことについて坂上さんは、とても反省していることを口にしています。
坂上忍が動物保護施設のために広大な土地を購入!
タレントの坂上忍さんが5月11日にYouTubeを更新。以前から手掛けてきた動物たちの保護ハウスについて、「最後の大仕事だと思っている」との熱い思いを語っています。
引用元:Yahoo!ニュース
最初は自身の冠番組「坂上どうぶつ王国」の企画としてスタートした、動物たちの保護ハウス建設。
5月11日に坂上忍さんは自身のYouTubeチャンネルを更新し、動物保護施設建設のために千葉県に4500坪、約東京ドーム1個分の土地を自費で購入したことを発表しました。
動物好きな坂上さんでも、4500坪を自費購入はすごい‼
コロナウイルスの影響で何度か計画が滞ったものの、着実に完成へ近づいているようです。
購入した土地は、整備が全くされていない草が生い茂った広大な土地でした。
荒れた土地を整備し、シェルターや走り回れる広場を作ることは、誰が見ても大変という事がはっきりしていました。
この施設建設に際して、2021年内完成は難しいものの、7月頃の着工を目指し、かかる費用に私財や自身の労力をつぎ込むことについて、以下のように話しています。
「結構しんどい思いしてる子がいっぱいいる」
「本当に動物が好きだから、動物のお世話をして終わりたいなと思ってたので、だったらもう動いちゃった方が早いなと」
「大きな目標というか、最後の大仕事だと思っているから、楽しみの方が大きい」
「逆にいうと、働く一番大きなモチベーションにもなってる」
引用元:Yahoo!ニュース
なかなかすぐに行動に移せる人はいないですよね!
そうですね。これこそ「坂上忍」だからできることですよね。
現在53歳の坂上忍さんが還暦を迎えるまでに、寄付やボランティアなしで施設完成までこぎつけるという大きな目標も宣言していました。
番組の枠を超えて私財を投入!きっかけは愛犬”ヒット”
坂上忍さんは以前から動物好きを公表しており、レギュラー出演していた「有吉ゼミ」でワンちゃん達と住む家として千葉に家を購入するなど、溺愛ぶりは世間を驚かせるものでした。
現在はワンちゃん14匹、ネコちゃん4匹総勢18匹の犬猫と生活を共にしています。
凄い数!しかも全員名字があるんですよね?
そうなんです。全員に名字と名前をつけて、「人と同じく動物も変わらない一つの命」と敬意を払って名付けているそうです。
坂上忍さんが、動物の保護活動をするきっかけになったのは、自身が24歳の頃に飼っていたウェルシュ・コーギーの「ヒット」との生活からでした。
“死に目にも会えなかった”愛犬ヒットとの出会いと別れ
坂上忍さんが11歳の時。当時子役として大活躍しており、ドラマ『ふしぎ犬トントン』で共演した犬の可愛さ、賢さに大変驚いたそうです。
家庭環境が荒れていたこともあり、とても癒されたそうですよ。
そのワンちゃんとの共演を機に「いつか自分も犬を飼いたい」と夢を抱いていたそうです。
そして自身が24歳の時、ふと立ち寄ったペットショップで売れ残ったウェルシュ・コーギーの「ヒット」と出会いました。
すぐに飼うことを決意し、自宅へ連れ帰ったそうです。
でもその当時坂上さんは、テレビドラマ、舞台、映画と大変多忙な時期で、仕事や付き合いの飲み会などで自宅に帰ることもままならず、ヒットとの時間はとても少なかったそうです。
ある日自宅に帰宅した坂上忍さんは、ヒットの異変に気付きました。
玄関の床にはヒットがつけであろう爪の傷、壁にもその傷は見られ、ヒットのお尻あたりに円形脱毛症のような抜けた跡。
坂上忍さんは、ヒットが抱えるストレスにようやく気付けたそうです。
長時間の留守番を強いられ、満足に散歩もいけない毎日、坂上忍さんは「自分よりも幸せにしてくれる人のところに行った方がいい」と考え、ヒットを知人にたくしたそうです。
ヒットもつらかったかもしれないですが、大好きなペットとの別れ。
坂上さんも辛かったでしょうね。
その当時のことについて坂上さんは「飼う資格のない最低の飼い主だった」と語っています。
ヒットの訃報が知らされた時も、仕事で駆けつけることが出来ず、「自分はお金を出して買って、お世話は何もできなかった最低の人間だ」と自身を責めたそうです。
それから坂上忍さんは「自分はペットを飼う資格がない」と思い、動物とは無縁の生活を送りました。
ヒットの訃報というショックを忘れるために、仕事や遊びにふけり、自暴自棄とも呼べる時期もあったそうです。
そんな生活を送り40歳になった坂上忍さんは、運命の出会いをします。
チワワ”佐藤ツトム”との出会いでワンちゃん中心の暮らしを確立
坂上忍さんは40歳の時、ヒットの時と同じで、ふとペットショップに立ち寄りました。
そこで売れ残ったチワワと出会います。
24歳の頃の坂上忍さんとは状況が全く違い、金銭面・時間・精神面どれも余裕がありました。
そこで坂上忍さんは、ヒットへの贖罪の意味も込めてそのチワワを迎え入れました。
「ヒットの時と同じようには絶対にしない」と誓い、そのチワワに”佐藤ツトム”と名付け、睡眠時間を削り、早起きして散歩に行きました。
時間が許す限り家にいて、一緒の時間を作るようにし、仕事の合間でも、時間があれば自宅に戻り様子を見るなど、ワンちゃん中心の生活に切り替えました。
多忙な坂上さん、苦労したでしょうね。
そこから続々と家族は増え、現在は犬14匹、猫4匹の総勢18匹になっています。
そのほとんどが保護犬や保護猫です。
坂上忍が救いたい”保護犬”や”保護猫”の実態
保護犬や保護猫って、どんな犬や猫なの?
- ペットショップなどでで売れ残り、成長して飼い主が見つかっていない
- 野良犬または野良猫として通報があった
- 飼い主が何らかの理由で捨てた
- 悪徳ブリーダーにより、何度も交配を強いられその機能を果たせなくなった
保健所や飼い主から引き取り、新しい飼い主が見つかるまで保護された動物のことを「保護犬」「保護猫」と呼びます。
動物たちが保健所に行ったとき、殺処分までに何日待ってもらえるかご存じですか?
一週間くらいですか?
答えは即日殺処分です。
人間の勝手で交配させられ、売られ、飼われ、捨てられた動物たちが、ガス室と呼ばれる小部屋に押し込まれ、もがき苦しみながら殺されているのです。
殺処分される命は、1日に100頭以上です。
殺処分を辞めさせるために、海外では「生体販売禁止」となっている国も多く、日本でもそれを勧めようという活動が広まっています。
不幸な一生をたどる動物を一匹でも多く救うべく、坂上忍さんは、動物の大型保護施設を建設することを決めました。
坂上忍にTwitterで称賛の声多数
思いと行動力がすごすぎる!
坂上忍、4500坪のどうぶつ保護ハウスは“最後の大仕事” 自腹での建設に苦笑も「しんどい思いしてる子がいっぱい」https://t.co/sW7AxPmgN4 pic.twitter.com/jX595hYd9V
— ねとらぼエンタ (@itm_nlabenta) May 12, 2021
https://t.co/mOLi3SjBg1
坂上忍さん保護犬のためのシェルターありがとうございます。— 桃太郎🍡 (@rp5ZecIReAbh04Q) May 11, 2021
私が有り余るほどお金もってたらやりたいなって事があって、それに近い事を坂上忍さんが実行しようとされてる。とても羨ましいし、なかなか出来る事じゃないから凄いなと思う。今1番好きなYouTubeチャンネル♩https://t.co/PkqVmcomPL
— 雪乃先生 (@yukino_bdsm) May 12, 2021
動物への愛情半端ない。素敵だわ。https://t.co/lQN6RCh2ll
— ロンタ (@pomeronchan) May 11, 2021
まとめ
今回は以下の内容について調査してみました。
- 坂上忍さんのプロフィール
- 子役から活躍し続け自死も考えた悲惨な家庭環境
- 「役者として」の活動に悩む中大事件を起こしてしまった過去
- 亡き愛犬ヒットとの運命の出会いと後悔について
- 「ヒットへの贖罪」佐藤ツトム君との出会いから始まった動物保護
- 動物保護施設建設の驚くべき規模
様々な過去を乗り越えて、今の坂上さんがあるんだなと知ることが出来ました。
財産も労力も惜しまない姿勢に感動しました。
辛い思いをする動物が一匹でも少なくなり、坂上さんの満足のいく形で施設が完成することを願わずにはいられないですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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