お笑いコンビのロンドンブーツ1号2号の田村淳さんの著書『母ちゃんのフラフープ』が5月31日に発売されます。
この本は、昨年8月にがんで亡くなられた田村淳さんの母・久仁子さんの闘病生活や死と向き合った日々や思いをつづった本です。
淳さんのお母様が亡くなっていたなんて知らなかったわ。
淳さんといえば、最近のインスタでいつも娘さんとのエピソードがつづられていて、イクメンパパだなと思っていたの。
大学院も修了し、テレビのコメンテーターとしても活躍されている田村淳さん。
その裏側にはがんで闘病していた母・久仁子さんと向き合う日々がありました。
今回はロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが母・久仁子さんとの闘病生活と死を通して起こった変化に迫ってみました。
ロンブー【田村淳】のプロフィール
生年月日 1973年12月4日
出身地 山口県下関市彦島
血液型 O型
学歴 山口県立下関中央工業高校卒業 / 慶應義塾大学大学院修了
1993年 田村亮と出会い、お笑いコンビを結成。その後、「ロンドンブーツ1号2号」というコンビ名で活動開始
2013年 元ファッションモデルの香那と入籍
2019年 慶応義塾大学大学院にメディアデザイン研究科に入学
2020年8月 大切な人に「遺書」をのこすための動画サービス『ITAKOTO』を開始
2021年3月 大学院修士課程を修了
現在2児の父
淳さんというと城郭マニアとしても有名で、日本城郭検定3級に合格しています。
確かに淳さんが歴史を扱うテレビ番組に出ているのをみたことがある!
コメンテーターとしての話を聞いていても知識が豊富で、淳さんはさまざまなことを熱心に勉強されている方なんだと思うわ。
【田村淳】がん終末期の母と向き合った5年間とその後
恋多き男と呼ばれた田村淳さんも結婚して、2人の女の子のパパとして幸せに満ちた生活をしていると思われていました。
しかし実際にはその裏で、母・久仁子さんのがんが発覚して激動の日々を送っていたのです。
田村淳さんが、母・久仁子さんの闘病や死と向き合った日々を見てみましょう。
“延命治療はしない”母のがんが発覚した2015年
「延命治療をしないほしい」
田村淳さんは20歳のときに母・久仁子さんから初めてこう伝えられました。
久仁子さんは看護師でした。
仕事で多くの方々の最期を目の当たりにしてきて、日頃から死というものに真剣に向き合っていたのでしょう。
まだ若く元気なうちから、どんな人生の終わりを迎えたいかをはっきり表明していたのです。
淳さんはその後、誕生日のたびに「延命治療はしない」とお母様から告げられていたそうです。
誕生日のたびって、現実を突きつけられているようで辛いわね。
そして2015年、久仁子さんに肺がんがみつかります。
結婚して順風満帆な日々を送っていた田村淳さんにとってはショッキングな出来事でした。
このときは手術をし、体調は回復しているかのように見えていましたが、2年後の2017年にがんが再発したのです。
術後、久仁子さんはずっと痛みで苦しんでいたようです。それにも関わらず皆に心配かけまいと、ご家族に深刻な状況を伝えずにいました。
久仁子さん、1人で痛みに耐えていたのね。
淳さんも痛みのことを理解して、いろいろな治療法を探してはいました。ただ、そこまで深刻なものとして伝わってはいなかったのです。
久仁子さんは、「もう手術はしない」「延命治療はしない」と改めて家族にしっかり伝えました。
がん再発後は経過も良くなく、転移が見つかるようになり、田村淳さんも母の命の終わりをより現実的に意識するようになります。
がんと聞いたら、誰でもものすごく精神的にこたえるのに、再発だなんて本人も家族も信じられない気持ちになっただろうな…。
そうですよね。ご本人は再発を告げられても冷静に振る舞っていたようですが、実際はショックを受けていないはずはないですよね。
人間いつかは死ぬとわかってはいても、そんな場面に直面したくないわよね。私は未だに親が死ぬという想像ができないわ。
“日常を大切にしたい”母のがんがきっかけで生まれた心の変化
田村淳さんは久仁子さんのがんが再発してから、足しげく地元に帰り、入院中の母との時間を持つようになりました。
当時のエピソードについて、田村淳さんは次のように語っています。
母ちゃんが死を前に、それを回想するということは、その時が本当に幸せだったということ。どこかに行ったとか特別な日ではなく、何でもない日が残っている。
だから、日常を大切にしないといけないし、オレも自分の家族にそんな時間を少しでも多く味わってもらいたい。そう強く思いました。
引用元:Yahoo!ニュース
そんな強い気持ちが日常へとつながっているのか、近頃のインスタグラムの投稿は、娘さんたちとの何気ない日々の話題が多くなっています。
やっぱり淳さん、お母様とのことがきっかけで日常を大事に過ごそうとしているのね。
インスタを見てると、あの淳さんが子どもをおんぶしてあやしたり、一緒に人形で遊んだりしているの。びっくりよ!
確かに昔からテレビで見ていた淳さんのイメージとはかけ離れていますよね。私も写真を見ていてほっこり優しい気持ちになりました。
私もインスタで写真見てみようっと!
2020年8月 コロナ禍に母・久仁子さんが死去
そんな息子と母の最後のお別れは、2020年8月でした。
「72歳の誕生日を自宅でお祝いしたい」という本人たっての希望で、久仁子さんは一時帰宅します。
コロナ禍で家族揃って病院で会うことができないための選択でした。
この頃、久仁子さんのがんは更に進み、痛みも相当なものでした。でも一時帰宅の許可が得られるよう、必死に痛みに耐えてこの日を迎えたのです。
久仁子さんが望んでいたことは、自宅での誕生日祝いの他にもう1つあったのです。
それは「生きているうちにまだ見ぬ孫を抱っこしたい」というもので、2ヶ月前に生まれたばかりの田村淳さんの次女と念願の初対面を果たします。
久仁子さん、淳さんの次女を抱っこしてミルクをあげたんだそうです。新しく生まれたお孫さんと会えてうれしかったでしょうね。
感動の瞬間ですね!
この一時帰宅は田村淳さんにとって、何よりも特別な日でもありました。
久仁子さんと直接会って話ができるのはもう最後であると感づいていたのです。
息子と母は2人きりの時間の中でいろいろ語り合い、最後に「今までありがとう」と別れのあいさつをします。
淳さんはその後、母の最期に立ち会えなかったものの、電話で「楽になってね」と声をかけました。久仁子さんはうなづいていたと言います。
家族全員が本人の意志を最大限に尊重したかたちで、最期を迎えたのです。
淳さん、こんなに大変な経験をされていたとは思いもよらなかったわ。
お母様と最後だと覚悟してのお別れ、とてもつらかったでしょうね。想像したくもない現実はやってくるんだなと感じました。
お母様の気持ちを汲み取って、ご家族がしっかりサポートされているのも素晴らしいですよね。私も両親にできることはしたいな。
母の生き様から“死”と向き合う! 大学院進学とITAKOTO開始
田村淳さんは母・久仁子さんのガン発覚と死に方にこだわる姿を見ているうちに、自分も死について深く考えるようになります。
そして、死を深く考えるようになったもう1つの大きなきっかけが、娘さんが生まれて親になったことでした。
「自分が元気なうちに、娘へ自分の気持ちを残しておきたい」という田村淳さんの死と向き合う意識はより強くなり、実際に娘さんに向けた遺書を書いたそうです。
まだみぬ自分の死を想像しながら、まだ小さな娘へ遺書を残すってどんな気持ちなんでしょうね…。切ないわ。
「遺言や死についてもっと深く探究したい」という気持ちがどんどん高まっていった田村淳さんは、2019年慶應義塾大学大学院メディアデザイン学科に入学し、遺言や死についての研究をはじめたのです。
そして、日本において死について語ることをタブー視している現状に、田村淳さんは疑問をなげかけます。
当たり前だけど、みんな死ぬんです。家族も失うんです。
だから、誰にとってもすごく共通項の多い話だし、もっと日常的に「どう死にたいか」という話はするべきだし、それは「どう生きたいか」を言ってるのと同じ。だからこそ、タブー視することはないと思うんですけどね。
引用元:Yahoo!ニュース
わかるわ。私一度父にどんなふうに最期を迎えたいのか聞いたことがあるの。でも、「死について口にするなんて!」とものすごく怒られたわ。
今の世の中だとまだそういう風潮が強いですよね。その前にA子さんよく聞きましたね!
元気なうちに理想の死に方を聞いておいたほうが、父の満足の行く死に方を作ってあげられると思ったのよね…。
田村淳さんは「日本の死との向き合うことをタブー視する現状を変えたい!」そんな思いで、2020年8月に遺書動画サービス『ITAKOTO』をスタートしました。
このサービスは、遺書動画で残された大切な人へメッセージを伝えることで、自分の人生を考え直したり、新しい活力を生み出したりするきっかけになればということで始めたものです。
相方の田村亮さんも、淳さんの勧めで遺書動画に取り組まれました。
奥様とお子さん、淳さんに向けてメッセージを送ったそうです。
淳さんに向けても遺書動画を撮ったのね。何を話したのか気になるわ。
動画の内容は公開されてなかったのですが、奥様に向けての動画と淳さんに向けての動画の内容が似通ってると亮さんは話していました。
母の闘病生活と別れをつづったエッセイ本“母ちゃんのフラフープ”発売
そして来たる2021年5月31日、母・久仁子さんとの闘病生活を赤裸々につづったノンフィクションエッセイ『母ちゃんのフラフープ』が発売されます。
生前、久仁子さんはフラフープを廻している動画をご家族に残していたことからこのタイトルがつけられました。
フラフープには深い意味があったのね。
久仁子さんの生き様を見てきた淳さんの希望でこの書籍の出版が決まったそうです。
田村淳 母との思い出の書籍発売を前にTwitterでのファンの反応は?
田村淳さんは、著書「母ちゃんのフラフープ」の発売を前に、生前母・久美子さんにどのような死を迎えたいか尋ねる会話を頻繁にしていたとツイートしました。
母ちゃん
死ぬ時どうしてほしい?
死んだらどうしてほしい?元気なうちに聞けててよかった…
元気なうちに伝えてくれてよかった直前では
話しづらいし
判断がしづらい…敬遠しがちな話題だけど
田村家は昔からよく話してました母ちゃんのフラフープ予約受付中https://t.co/zlcBpbWxas pic.twitter.com/Ic9tLNWMWd
— 田村淳 (@atsushilonboo) May 13, 2021
この投稿に対して、150件を超えるさまざまなコメントが寄せられています。
まだ途中ですが、初めから涙でした。そして校長淳さんの子供の頃の思いやお母さんの思いがひしひしと伝わります。本当にこの本を読むことができて良かった。ありがとうございます。
— makaron1929 (@makaron1929) May 13, 2021
買って読みたいと思います‼️
私の母は認知症のうえ下半身が
動かなくずっと介護
私のことは役所の介護するひとだと
死ぬ間際までおもってて亡くなる
1日前に名前をよんで一緒に寝よといったきりあくる日なくなりました
最後1日親子になれた嬉しさと
ほっとした気持ちがあったような。
すいません🙇— 川西宏 (@eXyA8CfliG49p2F) May 13, 2021
母が膵臓癌で1月に余命1年と宣告されました。今は抗がん剤治療で髪が抜け、体力も無くなってきました。独身の私はいつも母と一緒だったので、いつか来る別れにずっと恐怖を感じています…先日『死ぬ時は自分が子供たちを抱き締めて死にたい…』と言われ二人で泣きました。叶うなら一緒に逝きたいです
— ばしこ (@nakanoshimakko) May 13, 2021
父が余命一週間を宣告され主治医の先生から好きな物を食べさせていいって言われ亡くなる二日前に「今日の晩飯は何か?」って言って売店にプッチンプリン買いに行って母が食べさせてあげてた時の父親の満面の笑みを見て嬉しさともうすぐお別れするんだって思いが重なり部屋を出て泣いたの思い出した。
— ゾノ (@haijinzono) May 13, 2021
一生で親と二人きりで話す時間って6日と数時間らしいです。脳腫瘍で倒れてから障害が残り身体と言葉か不自由になった母、介護を11年してますが年々命のゴールが近づいて来てる感じです。まだ会話が少し出来ていた頃に「家で死にたい」って言ってたので施設や病院に預けず在宅で看取りを選択しました。
— 164anton (@164anton) May 13, 2021
私の父は亡くなる一週間前にいきなり「葬式はアーメンさんでして」と具体的に葬儀の希望をとっても楽しそうに話だし、あまりのいきなりのキリスト教?? 初めて協会に行きお願いをして、賛美歌を練習し希望をなるべく叶えて送りました、
見てくれていたと信じたいです。— はな (@2fnohana) May 13, 2021
みなさんの思いの丈がたくさん詰まった、とても重みのあるツイートばかりですね。
涙が止まらないわ。親の人生の最終段階と向き合う時間は現実に来てしまうのよね。
少し明るいツイートもあって救われたわ。辛いけれど、時間が経つと冷静にそのときを思い出せるようになるのかしら。
それは経験しないとわからないことですよね。私も両親の最期のことをもっと考えていこうと思いました。淳さんの本を買ってみます。
まとめ
今回はロンドンブーツ1号2号の田村淳さんの母・久仁子さんの闘病と死を通じての淳さんの心の変化を中心にお伝えしました。
- 田村淳さんの母・久仁子さんは元気なうちから死に方を真剣に考えていた。
- 「延命治療をしない」という意志を明確にしていた久仁子さんはがん終末期の闘病を経て2020年8月に死去。
- 母の生き様から大学院に進学し、死や遺書を研究。
- 動画配信サービス「ITAKOTO」を通して、人々に人生を見つめ直す機会を作って欲しいと願う。
- 2021年5月31日、母・久仁子さんとの別れをつづったエッセイ「母ちゃんのフラフープ」を発売。
淳さんのエッセイ本や動画配信サービスがきっかけで少しでも家族と死について話せるような環境になると、人生がより豊かになると思うわ!
そうよね。でも私達の親世代には、死についての話をするのはまだハードルが高いことかもしれないわ。
難しいですね。私達の世代からだけでも、死と向き合う時間を持てるように少しずつ変わっていけば良いかなと思います。
以前、ペナルティのワッキーさんががん闘病中、淳さんがメンタル面のケアをしていたという話題があったわよね!
ありましたね。淳さんもお母様の闘病と向き合った経験があって、ワッキーさんの心に寄り添うことができたのかもしれませんね。
この世に生を受けたものは誰もが「死」というゴールに向かって歩いています。
これを機に少しでも現実的に自分がどんな最期が迎えたいか、考えてみませんか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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